経済特区によるカンボジア100万人職づくり構想
対象地:カンボジア王国
期間 :2000年~2012年
背景:
カンボジアには1996年にはじめての経団連ミッションの時に訪問したが、まだ政治は不安定で経済もポル・ポト時代の混乱がまだ色濃く残っていた。若者の就職先が無い事が最大の問題の一つであるので、民間投資の受け入れが可能になる経済特区(SEZ)の開発構想をフン・セン首相に提案し、彼は私どもの提案を受け入れ、日本政府にSEZ開発調査の要請状を直ぐに提出した。日本政府は1997年に民間主導のJICA調査団を出す事にしたが、7月にナナリット殿下との対立が激しくなり、軍隊を導入し内戦状態になってしまい、JICA調査団の派遣は中止になった。1998年になり平静を取り戻し、カンボジアはASEANへの正式加盟をその年に実現した。
1999年に入りチャンプラサット商務大臣からSEZ開発を進めてほしいとの要請がJDIにあり、JDIでは1999年から経済産業省(METI)の補助金をいただき調査を始め、2000年の3月に“SEZによる50万人職作り構想”をフン・セン首相に提案した。この構想はカンボジア政府と日本政府共に強い期待をもって受け入れられ、日本政府はJICAを通じてプノンペンからシアヌークビルまでの回廊にSEZを主体として開発する成長回廊の調査を2001年から始めた。しかし、JICA調査が2004年まで続けられたが、世界銀行等の反対もあり、SEZの具体策が決まらずじまいであった。
2005年に入り、再度チャンプラサット商務大臣から、SEZ開発は最重要な案件であるので調査ではなく、法案作りと具体的なSEZの実施を行う様に強い要請があり、JDIは2005年の夏からJBICの提案型FS調査で本格的なSEZ調査・実施に入り、10月には草案を持ってフン・セン首相以下主な閣僚との説明会を持ち、“SEZによる50万人職作り構想”の説明・説得を行い、構想の承認とSEZ法案と組織の立ち上げへの全面協力の約束を得た。
12月末にはSEZ法案とSEZ開発庁が承認され、2006年からSEZプログラムがスタートした。シアノークビルSEZは日本の円借款案件として、ベトナム国境のマンハッタンSEZとプノンペンSEZ他タイ国境2か所は民間のPPP案件としてSEZ開発がスタートした。
現在までに約20か所のSEZが承認され、既に8か所でSEZが民間投資の受け入れを行っており、既に百社近い企業が操業を始めている。SEZ構想を始めた2006年ではカンボジアへの外国企業の投資は考えられない状態であったが、JDIが企画から実施まで行ったプノンペンSEZには2008年頃から徐々に外資が入りはじめ、日本企業も味の素、ヤマハ、住友電装、ミネベア等の大手日本企業がSEZに入居し始め、現在では50社が操業をしておりカンボジア投資ブームの魁になった。
JDIでは製造業SEZ以外にカンボジアでは重要な農林業と観光のSEZの開発を進めており、2011年には具体的な農林業と観光のSEZのFS調査を行っており、2013年にはSEZ法案の改正を提案し、具体的な農林業と観光SEZ調査をスタートさせる予定である。
結果:
はじめの“SEZによる50万人職作り構想”の提案から、10年が経過したが、始めた当時のカンボジアは民間投資対象国ではなかったが今では日本の大手企業までが進出する投資ブーム状態にまでなり大きな変化が起こった。 カンボジアへの製造業投資は99%がSEZに入居している事実からもSEZが投資を呼び込む重要な役割を担っている事が明らかである。この50万人職作り構想は成功例と考えられ、現在は100万人職作り構想に格上げさせている。
今後;Lesson Learned;
カンボジアの成功の秘訣はフン・セン首相はじめとした関係者が“SEZによる100万人職作り構想” の実現に向かって努力を惜しまなかった事である。特にフン・セン首相やソク・アン副首相が強いリーダーシップを発揮して、SEZ法案や組織の立ち上げを短期に承認し、問題が起きた時には素早く対応した事でSEZ開発が成功し、100社以上の外資が既に操業を始め、カンボジア投資ブームを生む事になった。
特に2005年の10月のフン・セン首相との面談の席で、JDI所長の小林がフン・セン首相にカンボジアの鄧小平となり、リーダーシップを発揮して、“SEZによる50万人職作り構想”を実現し、職が無く困っている若者に職を作り経済活性化を実現してほしいとの要請に、主要閣僚の前ではっきりと“カンボジアの鄧小平になり、50万人職作り構想を実現したいので、協力をしてほしい”とはっきり述べられ、その経緯が公文書にも乗っている。
実際にSEZ計画を進める過程でいくつもの問題にぶつかったが、事務局や大臣レベルでも解決できない問題が起きた時にはフン・セン首相にお願いして問題解決を図った。37年間に及ぶSEZ開発事業の経験では必ず色々な問題が立ちふさがっており、これらの問題を解決できる手段を持つ事が非常に重要である事が解っていたので、JDIではいつも問題可決が出来る手段を考えて実施してきた。
カンボジアではSEZ開発庁の中に“Trouble Shooting Committee (TSC)”と言う組織を作り、そのTSCの委員長にはフン・セン首相自身になっていただいた。その理由はまずSEZ構想みたいな全国的で全ての分野を包括する国家事業では問題が出てくる事はほぼ100%確実であり、何もしないと構想自身が立ち往生し最悪の時は構想が死んでしまう。しかし、問題が起きた時に直ちに問題解決が出来る組織であるTSCがあり、首相自ら委員長として問題解決を行えばほとんどの問題は迅速に解決できる。
このTSCは今までのシンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、中国等で実証済みである。特に、シンガポールのリー・クワンユー前首相や中国の今の経済発展の基礎を築いた鄧小平は正にTSCのリーダーになり、問題解決を自ら行い国の発展に寄与して来た。このリーダーの“Political Will”が国の発展には欠かせない事がカンボジアのケースでも証明されてた。この様にはっきりした目標(“SEZによる50万人職作り構想”)とTSCの様な問題解決手段を持ち、鄧小平やリー・クワンユーの様な強いリーダーシプを組み合わせれば、どんな国でも10年もすれば経済開発が進められる良い成功例になった。
カンボジアの様な一人当たりGDPが$300であった国が10年間で$1200になり、外資が押し寄せ、若者に50万人もの職が提供できる様になった事は他の貧しいアジア、アフリカや中南米諸国の参考になると考えている。
話はそれるが、この50万人職作り構想に自信を持ったカンボジア政府はJDIに最近100万人職作り構想に変えてくれと要請され、現在は農林業SEZと観光SEZを導入して100万人職作り構想に切り替える準備をしており、2025年までには3分野のSEZによる100万人の職作りも可能性が出て来たと感じている。より多くの途上国のリーダーがカンボジアや他のアジア諸国の成功を分析し、SEZによる職作り構想の威力を認識してリーダーシプを発揮していただきたいと考えている。もし途上国のリーダーでSEZによる職作り構想に対する強いリーダーシップの覚悟(Political Will)が確認され、SEZ開発を軌道に乗せられる可能性があればJDIは今までの経験をベースにそれらの国々の支援をして行く所存である。特にアセアン諸国では開発が遅れている、ラオスとミャンマーではSEZによる職作り構想をスタートしている。
ラオスではソムサワット副首相の要請で、ADBの支援を得てJDIが2009年-2011年にかけて、SEZ法案・組織作りと2030年までのSEZ Road Mapを作成し、現在は実施に入っている。ミャンマーも2012年の6月から5百万人職作り構想をスタートさせている。又2013年7月からは世銀の支援でバングラデッシュでのSEZ事業をスタートさせており、2030年までには1000万人職作りを実現したいと考えている。
今後は中東やアフリカにもアジア諸国での成功例を移転する事が考えられるが、JDIは既に2003-2008年にタンザニアで“Mini-Tiger Plan”と言うSEZによる職作り構想を実験して来た。今の所、2か所の首都ダレサレムとアルーシャでSEZが建設され20社の企業が活動を既に始めている。 その一社は世界でも有名になったマラリヤ避けの蚊帳の生産を始めてアフリカ出始めた住友化学である。 住友化学のJV会社は既に5000人以上の従業員が働いているアフリカでは最大級の工場になっている。タンザニアではアジア諸国程の成果はまだ出ていない。大きな理由はリーダーのコミットメント不足と外資がまだアフリカへの投資をToo Riskyとして考えている事が挙げられる。JDIとしては強いリーダーが現れ、国を変える意思があり可能性が高い国が見つかればアフリカや中東諸国でも対応して行きたいと思っている。